コンマ1秒に拘らない人生って

本棚を整理していたら古いCarMagazineが出てきました。
今、何かと話題のシューマッハフェラーリに移籍後初勝利を手にした1996年8月号。そのスペインGP記事を懐かしく見ているとスーパーセブン(ケンターハム)記事のキャッチが目をひき読み返してみました。

「コンマ1秒に拘らない人生」

当時のセブンはハイパワー化が著しく303psのターボで武装するモンスターまでも登場していたので、ライトウェイトスポーツ精神から離れていくのではと懸念する声に答えたものですな。勿論、スポーツカーを名乗る以上は動力性能の向上は当然であり究極に高めていく事も期待されているし現実味がないスペックやラップタイムなどの数字もポテンシャルを確かめる手段としては有効です。それらから得る究極のパフォーマンスを楽しむのも正しい選択である事は否定できないし、むしろ歓迎すべき車種もあるだろうと思います。「こんなモンスター、公道では無理」って言われそうな570psを誇るF458イタリアにしても、フェラーリのスピリットを現代に具現化するに必要だとすれば、たとえ手に余る性能でもFの歴史と精神を共有できる喜びだけで所有する価値があると思うわけです。

しかしコノ記事では、そうではない、もう一つの回答を示唆していました。
「出来るだけ毎日の生活の中で楽しみ、そのクルマとの生活をイメージできるか否や。個人の技量と経験によって世界観は変わるけどスペックだけでは分らないピュアな精神に浸る喜びがある。」

簡単に言えばスペックに表示されない楽しさや魅力があるって当たり前って言えば当たり前の事を書いてあるのですが
コペンは64ps。最小に近いロースペックのKのオープンに乗って「そうかも」と実感している次第です。

オープンの非日常性と体感スピードの高さが、普通の生活に溶け込みながら充分なスポーツ性を体験させてくれます。これも吉田匠氏が唱える「低速官能」の世界に通じるものがあると思うわけです。
http://minkara.carview.co.jp/userid/378570/blog/

しかしBow氏が描くjaguar-E-type、カッコイイ。それと14年の時間を感じたのが今では倍でも買えない価値がついているDinoが750万、73カレラが680万で売りに出てました。