生きるって奇跡

今までで死を感じた事が何度あるでしょうか。

私は51年で4回です。

1度目は4~5歳の頃に鹿児島の親戚のとこへ遊びに行っている時に近くの川で溺れた事です。目の前が急に真っ暗になり沈んで行く自分に対して何も出来ない絶望感を子供ながらに覚えています。結果的には釣り人に引き上げられて無事に終わりましたが、もし誰もいなかったら・・・もし、彼の手が届かなかったら・・・


2度目が面白い。

高校2年の秋でした。

当時、陸上部で短距離やってましたが、体育際の準備前でノンビリした練習をしていて最後は後輩と三角野球を始めていたのです。

学校のグランドは陸連公認400mトラックと野球場、サッカー場等を有する広大な空間を持ってましたから、私達のリクレーション(遊び)の後方では同級生が槍投げの練習が可能だったのです。それでも危険では有りますが、彼の飛距離は皆知っていたので絶対に届かないと信じてました。

しかしです。奇跡が起きてしまったのです。今までの記録を大幅に超える新記録の1投が飛び出してしまいました。

ピッチャーの私に向かってくるアルミ製の槍。後輩の目が大きくなったのを不思議に思い顔を後へ向けると・・・空に浮かぶ一つの丸くて黒い点。

瞬時に身の危険を感じ逃げ出そうとした時です。腰のあたりにガツンと鈍くて重い衝撃。

横目で地面を観ると私の影から斜め上に長く延びる一本の影。

「ささってる」

そう思ったら急激な貧血となり地面にバタリ。同時にポロリと落ちる槍。

人はワーワーと集まり、急いで救急車が呼ばれる惨事になってしまいました。

奇跡的に背骨に当たり腹部貫通は免れ、2週間の入院で済みましたが、一寸でもズレていたら(彼のパワーがもう少し強かったら)串刺し状態で死んでましたよって云われました。おかげで今でも語られる恥ずかしい勲章(傷)が残っています。腰に・・・(裸になると「何コレ」って必ず聞かれる4センチ程の傷)



3度目は21歳。

友人3人と大分に遊びに行った時です。レンタカーを借りて私が運転。遊び過ぎて返却時間を超過しそうなので霧が出てきて視界が極端に悪くなったのに飛ばしてました。

「あっ」

気がついた時には右側に黒い影・・・

「ガガガーーー」

本当に巨大なトラックのリアタイヤにヒットです。

運転席のドアが鋭角に折れて私の腹部スレスレまで接近してます。フロントはグチャグチャ、煙を吹き出してました。進行方向左の崖に激突して停車。雨も降ってきた中、警察のお世話になりました。

そのヒットの瞬間、何かスローモーションのように景色が動いたのを記憶してます。もう少し横が当たっていたら・・・・でも奇跡的に擦り傷一つなく全員無事。帰りにトラックのドライバーの家で食事をゴチになりました。(なんじゃそれ)

どうもセンターラインを超えたのはトラックで示談を望んでいたようです。人が良い私は腹も一杯にしてもらいレンタル代(レッカー代)も払ってくれると云う事で承諾しましたけどね。



最後の4度目は病気です。

36歳の時に、脳内静動脈奇形が発症し自宅で記憶を失いました。運良く母がいたので、すぐに救急車で搬送され気がついた時は病院のベッドの上でした。

治すには手術しかナイと云う事でしたが難しい手術なので名手を呼ぶ事になったのです。

予備検査等が終わった1週間後、名手(名医)が現れました。そばには若いインターンが数名付いて、まるで「白い巨塔」状態だったので笑いを堪えるのに必至でした。

「明日、手術しますけど、安心して下さい。○○先生は経験豊富ですから問題ないですよ。」

近くにいた母が聞かなくて良いのに

「何回ぐらい、これの手術されているのですか」

すると自信満々に

「2回です。」



し、死ぬかも・・・・・・・・・って思いました。



それだけ例のない病気なんでしょうけど・・・・それで安心しろって云うのも・・・・・


そんな心配もよそに無事手術は成功し、今、生きてます。後遺症もなく頭は凸凹になってしまいましたが、生きてます。


そんな経験をすると「生きるって事は奇跡の連続」のようにも思えます。

もし、あの時、もし・・・って考えると今、コペンに乗って「空がねー」とか「やっぱオープンだね」なんて思えないわけでして、本当に生きている事に感謝しなくては。